生活

ぼくはくすりをたくさん飲んだ。死のうと思った。

救急外来で病院に行った。ひとりでは立つこともできず、当然歩くこともできない。視界がぐらぐらして変なものが見えた。点滴をした。今日も点滴をした。くすりを飲んだときに切った腕が痛い。

何も食べられず、水分をとることもできなかった。なにをしても吐いた。医者に怒られた。あの時もっとくすりを飲んでいたらなにも考えなくてよかったのかもしれない。

頭か首が痛い。横になるのも辛い。睡眠が取れない。点滴を持ちながらトイレに行くのは少し大変だ。

ぼくはポカリスエットが好きで、母は電気をつけたまま寝る、父は少し怒りっぽい。たばこのにおいが心地悪い。

おなかがすいたな。

意味の無いこと

"意味の無いこと"の四字熟語を調べると一覧がでてきた。みな少しずつニュアンスが違い、僕の思考は止まった。

 

今日から実家。生憎、馬が合わない妹が帰省していた。

 

自分の部屋はもう無い。リビングで寝るのだが、なかなか灯は消えない。

 

外へ出る。最近好きでなくなってきた煙草を吸いながら水の流れる音と蛙や虫の鳴く音を聞く。煩わしいのか落ち着くのか分からない音。

 

外は寒い。昼間はあんなに暑かったのに、、震えながら、今日もなにもしない一日が終わる。

眠れば何も感じない

きょうは全く寝れない日みたいだ。5時間程布団に入っているが、眠れる気配が全くない。飲酒に眠剤、眠るためにすることは全てした。

明日、親が迎えにきて精神科か実家へと連れていかれる。入院するかもしれない。入院というものを経験したことがないので、そうなれば少し楽しみだが、調べてみると精神科の入院は酷くつらいものと聞く。

それと、実家に帰ると親戚の白い目が気になる。いとことかは不登校を経験してたりしたし、自分は周辺でほぼトップの高校に入学したので親族からは少しチヤホヤされた。高校はゴールで、大学なんてそこそこの高校を卒業すればそこそこの大学に入れると、当時は思っていた。が、Fラン大学にしか入れず、退学、実家でニートをした自分には人権がなかった。裏で色々陰口を叩かれていただろうし、親は、焦らなくていい。いまは休めばいい。と言われたが、焦らざるを得ないし、休むことが1番の薬ではないし、なにもせず(なにもできず)に休んでいることが1番つらかった。

 

話は変わるが、昨日眠剤を服用した後にホルモン居酒屋に行った。AM1:00までのお店だったが、1:30頃店の前を通りかかると、店主が快く迎えてくれた。結局3時までいた。出てきたホルモンは自分で頼んだはずなのに正直どれがどれだか分からなかった。味も大体同じで、タレをつけてしまえば同じも同然。といった感じだったが、店主がとても気さくな人で、他人とコミュニケーションをとるのが苦手な自分もいつの間にか饒舌になっていた。客層について聞くとやはり常連さんは自分と一回り以上離れている人が多いらしかった。横浜に住んでいた時も居酒屋で知り合い、仲良くなった人がいたのでここでもコミュニティを作りたい。なんせ友達が少ないから。

 

前述の通り眠剤を服用した後だったので、記憶はあるが、Twitterを見返したり、人に言われるまで忘れていた。所謂夢遊病に近いものだと思う。割とこの症状はよく起こす。大抵空腹感を感じて動き出してしまう。それを防止するために寝る前に食事を摂ったりしているが、これが効果のあるものなのかは分からない。

 

先日自分は初めてブロンODというのをした。メンヘラや、ジャンキーなガキがしているのを知っていたので、ブロン=ODするものという認識はあったものの、自分は眠剤でしかODの経験がないので少し気になっていたのだと思う。日々のリストカットにより職場で半袖が着られなくなっていた自分はくすりでしか精神を保つことが出来なかった。ブロンを買いに薬局に行ってみると、意外にも高かった。眠剤が足りなくなるが、処方される眠剤でODしていた方が自立支援もあるのでかなり安上がりだなと感じた。しかし、自立支援を使ってODをはかるのは如何なものなのか。(ここでは言及しないでおくし、指摘しないで欲しい。)

早速ブロンを買ったことをTwitterで報告したところ初めてなら2,30錠から始めてみればと言われたので30錠飲んだが、特に変化を感じられず、後に30錠追加した。正直効果があったのか覚えてない(覚えてないのなら効果がなかったのかもしれない)し、"オーバードーズ"をすることが快感なのかも知れないと感じた。そうなると市販薬ODはかなりコスパが悪い。いまの自分には"リストカット"か、"オーバードーズ"しか縋るものがない。(他にもお酒やたばこもあるがこれは別枠として捉える)

 

最近リストカットは手首ではなく腕を切るようになったが、当初にした手首の痕は白いケロイド痕となっている。腕もじきにそうなりそうだ。これは、実質タトゥーなようなもので、どうせならリストカット防止策も兼ねてタトゥーを入れようかと思ったくらいだ。リスカ痕がある人に雇い手はつかないだろうし、今後も一生隠していかなくてはならないとは分かっているが辞められない。

今は誰も頼る人がいない。同じ病状の友人とはシリアスな話はしづらいし、できてもつらいよね~。で終わってしまう。他の人に対しては、おれうつ病なんだ~笑笑 とヘラヘラ打ち明けることしかできない。頼る人がいないというより、なにを頼ればいいのか、どう対処して欲しいのか、自分でもわからない。

 

生きるってなんなのか、生きる価値ってなんなのか、「なにかするために生きるんじゃなくて生きてるからなにかできる」みたいな逆の話だか忘れたけど、そんなこと言ってた人がいた気がする。そんなどうでもいいこと考えている。

精神科

突然だけど、自分は今「パニック障害」と「双極性障害」を患っていて、障害者手帳一級を所持している。

精神科に初めて行ったのは高3の後期。授業がまともに受けられなくなったから。

いざ精神科行ったら「受験のストレスだろう」と軽く言われ、少し悲しくなった。誰も認めてくれないのかって。頑張ったね。辛かったね。って言われて、病気だから仕方ないって自分を肯定したかったのに。

たぶんその頃からパニック障害を発症していた。大学入試も、大学での小さい教室での授業も地獄でしかなかった。授業(講義)時間は高校と比べ物にならないくらい長くて、すぐにでも逃げ出したいと毎日思っていた。

辛抱しつつ1年間通ったけど1年の最後の試験の時インフルエンザにかかりプツリと糸が切れた。再試を設けてもらったけど行けなかった。それからすぐ、ひとりで精神科に行った。パニック障害うつ病の併発と言われた。病気だと言ってもらえて嬉しかった。自分は甘えてるだけなんじゃないかと何回も思ったけど、そうじゃなかったんだと。やっと認めてもらえたのだと。

それから半年大学を休学した。けれどやっぱりすぐに治るはずもなくて結局大学を辞めた。

そこからはかなり友達に支えてもらったとおもう。大学辞めたのに以前と変わらずに接して遊んでくれている大学の友達。大学の近くに行く時はいまだにみんな集まって遊んでくれる6人の友達(古い言葉で言うとマイメン)。その6人には本当に感謝でしかない。

大学では一人暮らしだったけど、大学の最寄りは何も無い街で、どうせならもっと違う環境が見てみたいと県を変えて友達の家に数ヶ月居候させてもらった。そこでも友達ができたし、快く受け入れてくれたその友達、新しく出来た友達にも感謝の気持ちでいっぱいだ。

それから居候中に別の友達の紹介で働き始めたバイト先の近くに引越しをした。この職場でもたくさん友達ができたし、色々なことが学べた。最高な職場だったと思う。紹介してくれた友達には色々な迷惑をかけた。許して欲しいとは言わないけど本当に感謝の気持ちでいっぱい。

職場の近くに引越しをしたと言ったけれど、その引越し先でも新しい出会いがあった。 ふらっと立ち寄った個人経営で10人程度しか入れない小さな居酒屋。親しみを込めてみんなから「お父ちゃん」と呼ばれる店主。常連客のLINEグループも存在する。年齢層は自分よりぐっと上の人たちだったけどとても優しくしてもらった。ほぼ毎日誰かしらが近況報告をするLINEグループ。とても微笑ましいというか楽しい。

話は戻るがメニューにはもっと酒の種類が書いてあるのに実際には発泡酒とホッピー、焼酎の3つほどしかないドリンク。自分は発泡酒とホッピーばかり飲んでいた。そんな発泡酒も、たかが発泡酒なのに、不思議ととても美味かった(当然料理は最高に美味しかった)。毎日のように通った。

ここまでは順風満帆だったかもしれない。が、信じていた友達に裏切られた。そして絶縁した。未だに未解決の問題である。それが原因なのか精神状態が再び悪化した。リストカットにOD、希死念慮で精神が限界まで落ちた。精神病棟に行くか、実家で療養するかという選択を余儀なくされた。結果的には実家に帰ったがn回目の精神科ガチャも難しかった。今もかかりつけの精神科は実家の方にある。そこでも薬の相性やこれからのことで担当医と揉めたのではやく転院したいが親が許してくれない。今年22になる大の大人が親に行動を制限されているのは如何なものなのだろうか。

それはそうと、今月から実家からやっと出られて再び一人暮らしが始まった。3週間だがまだ順応しきれていない。これからどのくらいこの家、この街に住むのかわからないけど心機一転頑張っていきたい。

 

かなりの長文になってしまったが最後に。

数少ない友達だけど本当にいい友達に恵まれているなとここまで書いてきて強く再認識した。みんなありがとう。ごめんなさい。これからもよろしくね。恥ずかして普段は絶対言えないのでこっそりここに書きます。たぶんだれもここまで読んでいないから。

近況

やっと再びバイト始める。

前のバイト、1回行ったっきりで辞めちゃった。制服返すのとても行きづらい。

たぶん新しいバイトも数ヶ月で辞めちゃうと思うけどきっとなんとかなるよね。自分勝手だけど。やっぱりお金ないとなにも出来ないね。心の余裕と懐事情は比例するんだね。

 

なんか環境が変わると半年くらい鬱が落ち着く体質みたいだから早く引っ越すね。埼玉がいいかな。決まれば関東縦一列制覇だね。5回目の引越し。定住したいな。ともだちも全然いないし、数人のかたいともだちが定着できたらいいな。

毎日毎日過去の幸せだった思い出に浸ったあと未来の不安で押しつぶされそうになってる。人間一番良かった時は忘れられないってこういう感じなんですね。

 

クリープハイプで感傷に浸りながら眠気を待ちます。

筒井康隆「お題ルーレット」

お題「筒井康隆」

 

who is he…?

これがはじめに思ったこと。

調べてみたら小説家・俳優であった。

さらに調べると「時をかける少女」の著者であった。時かけの初版が1967年であるからもっとびっくりだ。なにしろ今から50年以上も前の作品なのだから。

これがお題ルーレットのお題に設定されている所以は一体…

これをきっかけに時かけをもう一度読んでみようという気持ちになった。おしまい。

 

11/25 追記:筒井康隆展ってのがいまやってるらしい。そういうこともあるのかな?

 

 

今週のお題「読書の秋」

今週のお題が「読書の秋」なので、自分の読書癖というか好む作家などを書けたらいいと思う。

まず真っ先に挙げられるのが村上春樹(敬称略)だ。自分が本を読むようになったのは高校生の時、部活への加入が強制であったが、学年で自分ともう1人、帰宅部に転身した友人の勧めがきっかけだ。友人はいわゆるハルキストで、誰もが認める読書家だった。当時の自分は現代文の成績が悪く、現代文の担当教師(フレームの細い眼鏡に曲がった口、少し毒舌)に相談したところ本を読むといい。との助言を頂いた。そこで友人の彼から短編小説から読み始めたらいい、と村上春樹の「螢・納屋を焼く・その他の短編」を借り、読み始めた。それがぼくのハルキスト人生(偽)が始まった。

次に読んだ本はやはり、村上春樹の「風の歌を聴け」だ。理由は好きなバンド「said」の曲に「風の声を聞け」という曲があり、書店で目に入った瞬間購入を決意したのだ。曲の方はたまたまなのか、影響を受けているのかはまだ分かっていないがとても面白かった。

そこから村上春樹の本をタイトル、ジャケ買いなどで読みたくった。同時に友人の勧める本も全て読んだ。すると驚くことに現代文が1番の得意科目になり、模試でも9割~10割の点数を叩き出せるようにまでなった。先生、友人様々である。(本だけ読んでいたのでほかの教科は案の定の成績だったが)

のちに鬱病双極性障害などと診断され希望の大学に進めず、講義もつまらず、ゼミにも落ち、テストを全放棄し、見事16単位の落単を果たした。大学も中退した。(話がだいぶそれてきているがご愛嬌ということにして欲しい)

最近の愛読書(?)は聖書。ずっと読みたくて、やっと横浜の家に取りに行けたので読んでるんだけど、和訳とか微妙すぎてなんだかよくわからない。そういうのもあって本当は最近本を読んでいない。本どころか漫画も。興味があって買ったものの、読んでいない本が10冊弱ある。勿体ないのではやくやる気を起こしたい。

今日はこの辺で。

said「風の声を聞け」

https://soundcloud.com/said-japan/1-1

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